5章 中世の法医学

 

皆様は、「法医学」という言葉をご存知でしょうか?
推理小説など愛読されている方にはなじみの単語でしょう。
法医学とは、人間の死体から死因や死亡推定時刻を割り出すと言う、アレです。
その歴史は古く、ユリウス・カエサルの暗殺の時以前にさかのぼれるとか。
この「法医学」は今回のキーワードなので、頭の隅に残して置いてください。
そういえば、小李探花の李尋歡なども死体を見ただけでたちどころに相手の得意技やら、はては末期の思いまで読み取ってましたがアレも法医学なのかも知れません…。

さて、話をイヴァンとルネットが出合ったシーンまで戻す。
立ち話もなんなので、乙女――ルネットとイヴァンは小部屋の中に入ることにした。
それから、ルネットはイヴァンを椅子に座らせ、酒やら食べ物を提供した。
余裕満々である。訳者としては、この状況でご飯を食べるのはともかくとして、ワインやら呑むのは心のそこからどうかと思う。
さて、食事を終えたあたりでどたどたと足音が聞こえてきた。騎士達が、殺された主人の復讐をするために駆けつけてきたのである。。

ルネットは叫んだ。
「たいへん!
いいですか、この長いすにから決して動いてはいけません。そうすれば、貴方の姿は騎士たちには見えませんから。
きっと皆は旦那さまの死体この部屋にもって来て、貴方を捜しに来るはず。
ベッドや椅子の下を覗き込んだりして探したりするでしょうが、口をきいてはいけませんよ。」

そう言い残すと、ルネットはイヴァンを残して立ち去った。
それと入れ違いに、門の両側から剣やら棍棒を持った男達がやってきた。
彼らは、これまで門を入ったところにある落し格子の罠によって真っ二つになった死体を何度も処理したことがあるし、また生き残った侵入者を何度も殺したことがあった。
だが、今回に限り、男たちは目を疑った。
門をあけ、落し格子をあげて見れば、確かに、真っ二つになった馬の死体は転がっている。
しかし、肝心の侵入者の死体は見当たらないし、そもそもその侵入者の姿すら見えない。

「これはどういうことだ?
逃げられる窓やらドアはない。空を飛べる鳥か、さもなくばリスみたいな小動物でない限り、脱出はできないはずだ。
ならば、死体がなくとも奴は必ずここにいるに違いない。
野郎、魔法でも使いやがったのか? 
とにかく、皆で手分けして探すんだ!」

主人を殺されて怒り狂った郎党たちは、部屋の壁やらベッド、椅子などを叩いたりしてイヴァンを探し回った。しまいには棍棒を振り回して部屋の中を荒しまくる。
だが、イヴァンが横になっているソファだけは叩かれたり、触れられたりする事はなかった。

このようにして男たちがイヴァンを探し回っていると、部屋の中に1人のレディがやってきた。

(な、なんという美しさだ…。キリスト教徒の中に、これほど美しい人がいるなんて…。)

この文章を読んだとき、訳者としては、キリスト教徒はそろいもそろって不細工なの、とか思ってしまう。当時の世相からして「キリスト教徒」は「人類」くらいに置き換えてもいいのかもしれない。
また、このレディの名前についてもあと1000行ほど明らかにされないのだが話が非常に進めにくい。
この期に名前を出してしまうことにしよう―――、そのレディはローディーヌという名前であり、は悲しみにくれた様子で髪を引っ掻き回して悲しみを表現したり、涙を流したりした。

(このレディは、私が殺した騎士の奥さんなのだな。)

やがて、部屋の中に人が集まりだしてきた。
その郎党たちの中には、領主の棺を引きずっているものもいた。
するとどうしたことだろう、部屋に入るなり、棺桶の中から真新しい血が流れ出してきた。

これを見た郎党は大声で叫んだ。
「いるぞ、犯人はここにいる!
きっと魔法を使って姿を隠しているんだ!」

――解説をせねばなるまい。
ここで、殺人事件があったとする。死体は既に生命活動を停止しているから、現代の常識で言えば死体から血が流れ出す事はない。
ところが、中世ヨーロッパの死体はそうではない。犯人が近くにいると、死体から血が流れだす。いや、事実化どうかはさておいて、少なくとも中世ヨーロッパではそう信じられていた。
この作品の解説によると、シェイクスピアの『リチャード3世』などの作品にも、これと似たシーンがあるそうなので、暇な方はチェックして見るといいかも。

「神様!」とローディーヌは声をあげる。「どうぞ私に犯人を見つけさせてくださいませ。
近くにいることは分かっているわ、早く出て来なさい、この臆病ものめ!
きっと、私の夫も魔法やらなにやら汚い手段を使って殺したんでしょう?
絶対に、許さない。私が怖いんじゃなかったら、早く姿を見せなさい!」

ローディヌは疲れきってしまうまで大声で叫び、挑発を続けた。
それでも、イヴァンは物音1つ立てずに黙り続けていた。
…やがて、イヴァンが見つからないため、レディと郎党達は嘆き悲しみながらも領主の死体の入った棺とともに部屋を出て行った。
それから、領主の遺体は僧侶により埋葬された。

しばらくすると、ルネットは急いでイヴァンの元に帰ってきた。
椅子やベッドがひっくり返され、壁に穴があいて荒れ放題になった部屋を見渡して、

「それにしても、この部屋はずいぶんと荒されたものですね。
騎士さまはご無事でしたか?」

「いや。」とイヴァンは答えた。
「そんなに恐ろしいものではなかったよ。
できることなら、窓かなにかはないかな?
できれば、外で行われている領主を埋葬の様子を見たいのだけど。」

こう言ったものの、イヴァンは領主の葬儀については別になんの興味もなかった。
ただ、その葬儀にはあのレディが参列しているはずであり、その姿を是非にも目にしたかったからである。
この依頼に対し、ルネットは快く承諾し、イヴァンを窓のあるところまで連れて行った。

そうして、イヴァンは案内されると、すぐに外の様子を伺う。はたして、イヴァンはすぐにローディーヌを見つけることができた。

「…貴方の魂に神のお慈悲がありますように。
あぁ、貴方に匹敵する騎士など誰もいない、そう信じていたのに…。
貴方は、他のどの騎士よりも礼儀正しく、強くて最高の騎士でした…。」

こう言いながら涙を流すローディーヌを目にしたイヴァンは、いまにも走り出し、彼女を抱きとめたい気持でいっぱいになった。

ルネットは、イヴァンに対してこのように忠告した。
「私も、あんまり長いこと皆から離れるていると怪しまれるので一旦戻りますね。
いいですか、貴方はしばらくこの場所を離れちゃいけませんよ。
しばらくの間、皆の悲しみが納まるまで、ここにいてください。
私に、ちょっとした考えがあります。
すぐに帰ってきますから、それまでの辛抱ですよ。
私の言葉どおりにしてくだされば、皆にとっていい解決ができるはずですから。」

――さて、ルネットの秘策とは?
次回、ルネットの巧みな話術が炸裂する!
この続きは次回で。

2009/11/11

 

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