17章 獅子と龍


さて、ノロイゾン夫人たちと分かれたイヴァンは、1人きりで暗い森の中を進んだ。
イヴァンは、暗然とした気分であった。とにもかくにも気分がはれない。
そうこうしていると、森の奥から獣の唸り声が聞こえてきた。

(…なんだろう? どうせだ、行ってみようか。)

声のする方へ進むと、なんとライオンと龍が戦っているではないか。
戦いは龍の方が優勢で、龍はその体でライオンを締め付け、下半身を炎で焼いていた。
――訳者が参考にした原文だと、龍ではなく、「serpent」(蛇)となっているが、その描写を見ればここは龍と訳すべきだろう。
だって、火を吐く蛇なんぞ、訳者はついぞ聞いたことがないからだ。
東洋には、「竜虎相打つ」という言葉があるけれど、西洋でもそうなのだろうか?

そんな「竜獅相打つ」光景を見たイヴァンはしばし呆然とした。だが、しばらく考え込むと、ライオンに助太刀することにした。
それはなぜかと言えば、龍は残虐で悪しき生物だから、と説明されている。この辺、私を始めとする東洋人には良く分からないところだろう。東洋では龍は神聖な生物とされるけれど、キリスト教文化圏で龍というのは悪魔の象徴なのだ。
ウェールズの国旗には赤い龍が書かれていて、またアーサー王も「ペンドラゴン」を名乗っているけれど、あれはたぶん例外だろう。訳者の考察だけれど、アーサー王伝説の起源であるケルト文化とかそっちの影響ではないだろうか。

一方で、ライオンはそういうマイナスイメージはないようだ。紋章学でもライオンは「勇気・力・王権」の象徴なのだそうだ。
原文を見比べても、ライオンには「gentle」(優雅な)、「noble」(高貴な)と言った形容詞が付けられるのに対して、龍の方は「wicked」(邪悪な)、「venomous」(有毒な)などと言う形容詞がつけられていることからも明らかだろう。


そんな配慮もあったのだろう、イヴァンは龍と戦うために剣を抜き、龍の口から吐き出される炎から顔を守るために盾をかざす。
このとき、イヴァンには名誉を求める心や功名心などというものは全くなかった。ただ、ライオンに対する哀れみだけが、イヴァンを動かしていた。
そして、イヴァンはその鋭い剣でもって、龍を一刀両断に切り裂いた。
どうにもこうにも、不意打ちのような気がしないでもないが、相手が龍なのなのだ。仕方がないというべきか。
さらに、龍の胴体で締め付けられていたライオンを助けるため、龍の体を切り裂く必要があった。
こうして、龍の締め付けから解放されたライオンは、イヴァンに向って歩き出す。

(しまったな…。やはり相手は獣だ。せっかく助けたのに、私を襲うつもりなのかな?)

しかし、ライオンはイヴァンを襲うことはなかった。獅子はやはり高貴で気高い生物なのだ。
信じがたいことだが、ライオンは後ろ足を伸ばしたまま、前足を曲げると、イヴァンに向けて深々と頭を下げるように地面にこすり付けた。この姿勢は、まさに「お辞儀」である。
一度では通じないと思ったのだろうか、ライオンは体勢を立て直すと、さらに前足を曲げて「お辞儀」をする。
見れば、ライオンの顔は感謝の涙で塗れていた。

(このライオンは、私に感謝しているのか?
私が龍を殺してこのライオンを助けたことが理解した上、私に敬意を表すなんて!)

イヴァンは、思いがけないライオンの高貴な振る舞いに感嘆した。

この出会いが、後にイヴァンの運命を大きく変えるとは、神ならぬイヴァンは想像すらしなかっただろう…。
この続きは次回で。

2009/12/4

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