13章 狂えるイヴァン


お話を始める前に余談をば。
中世騎士道物語において、恋に破れた騎士が発狂すると言うのは、非常に良く見られる現象である。
『アーサー王の死』を読まれた方はご存知でしょうけれど、ランスロットやトリストラムなどもちょっと愛人に冷たい態度を取られたという理由で発狂してます。
ちなみに、原文にあった巻末の解説でも、『狂えるオルランド』との相似性が記述されてます。
さらに余談だと、李莫愁とか、神雕侠こと楊過なんぞもそんな感じかもしれない。

さて、話を戻して発狂したため理性をなくしたイヴァンであったが、最低限の知恵みたいなものは失っていない。
裸でさすらうイヴァンはどう見ても異常者。そのため、矢を射掛けられたりしたこともあったが、逃げ切っている。
また、獣の肉で食いつないでいたが、地面に罠を仕掛ける程度のことはできていた。もっとも、火を使うことを忘れたのか、生肉を食べていたのではあるが…。

そうして森で狂人のようにしてすごしていたイヴァンであったが、ある日、隠者の住む小屋にたどり着いた。
だが、イヴァンの姿を見た隠者はびっくり仰天。
裸でうろついている男だ、しかも目つきがまともではない。
すぐに小屋の扉を閉めたものの、隠者は中々に慈悲深い。窓からパンと水をイヴァンに差し出した。

飢えていたイヴァンは、むさぼるように隠者の差し出したパンを食べた。
高貴な家柄のイヴァンにとって、隠者が差し出したパンはとても口に合わないものだったろう。堅いし、少し黴ている上に、麦わらなんぞをまぜてある安物で、せいぜい5スー(1スーはフランスの貨幣。1フランは20スーらしい。)程度の価値しかないだろう。
だが、飢えに苦しむイヴァンにとってこのパンは至上の美味であった。
こうしてパンを食べ終えたイヴァンは、鹿でも捕まえようと小屋を後にした。

それからしばらくの間、隠者とイヴァンはともに過ごすようになった。
もっとも、隠者はイヴァンを家の中にあげたりしない。家の中からパンを差し入れたりするだけだ。そして、たまにイヴァンが鹿を捕まえてくると、それを料理してイヴァンに差し入れた。
こうして、イヴァンは塩や香辛料で味付けされているわけではないが、火の通った肉を食べられるようになった。

じっさい、この隠者はかなりの善人であった。
たまに鹿肉をくれるとは言え、イヴァンが食べるぶん、食費が跳ね上がったのだけれども、持ち物を売り払ってパンを作るための小麦などを買い集めたのである。
――これだけいい人なのに、隠者は名前は付いてません。まぁ、この章以降は登場しないので仕方がないかなと。

さて、イヴァンはしばらくの間、隠者の小屋の近くで暮らした。
すでに狂っているとは言え、ここにいる限り、パンと調理した鹿肉を食べられるのという程度のことは理解できるのだ。
そんなある日、イヴァンは森の中で昼寝をはじめた。
無職のクセに、昼真っから眠るとはいい度胸だ、と訳者は思ったけれど、ある意味で無職だからこそできることですね。

さて、その昼寝が、イヴァンの運命を変えることになるのだけれども…。
この続きは次回で。

2009/11/28

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