26章 搾取の構造


さて、ついに『獅子を連れた騎士』と合流した旅の乙女は、病に臥せっている妹姫のもとに向かうことにした。
――ところが、話はそう単純にはいかず、ここで脱線してまた別の話が入ります。
いやいや、時間的な余裕はないんじゃなかったかなぁ、とも思えるけれど、なんか引き伸ばしな気がする。

そうして旅を続けた乙女と『獅子を連れた騎士』は、ある街にたどり着いた。
先を急ぐ乙女たちであるが、なにぶんもう夕方なので、一晩を街で過ごすことにした。

ところが、『獅子を連れた騎士』を目にした市民たちは、何事か大声で騒ぎ始めた。

「あぁ、悪しき者がやってきたよ!
あの男は、我らに害を与えるに違いない。」

――ある意味で、ライオンなんぞという猛獣を連れた騎士がやってきたのだ。
市民の反応は当然といえなくもない。

「君たちは、どうしてそう私を非難するのだ?」と、『獅子を連れた騎士』は尋ねた。

「ふん、おれが説明しなくても、そのうちわかるさ。
どうしても知りたければ、塔を目指すんだね。」

そう言われた『獅子を連れた騎士』は、市民の言葉に従って馬を塔の方へ向けた。
すると、たびまちに市民からごうごうと不満の声が上がる。

「なんとも無礼な方たちだ…。
いったい、君たちは私の何が不満なのか、ここで教えていただきたい。」

『獅子を連れた騎士』がこういうと、群衆の中から年配の女性が現れた。
この女性は、群衆の中ではひときわ礼儀正しい様子である。

「確かに、騎士さま自体に罪はありません。
市民たちは、貴方に対してこの街で夜を過ごさないように警告しているのです。
ですが、その理由をあなたに話すことはどうにもできないのです。
さあ、悪いことは言いませんから、すぐにこの街を出てください。」

「レディ、貴女の助言は大変ありがたく思います。
ですが、もう遅い時間ですから、この町で宿泊しなければならないのです。」

そう答えると、イヴァンは塔を目指して進む。
塔では、門のところにいた下男に無礼な態度を取られるが、イヴァンは気にすることなく先へ進んだ。
――よく考えると、許可ない立ち入りだから不法侵入のような気もするが、気にしてはいけない。

そして広間に来てみると、そこでイヴァンは酷い光景を目にした。
広間の中、鋭い杭で囲い込まれた場所に300人ほど乙女が密集しており、彼女たちは黙々と縫い物をしている。
彼女たちは絹でできた布に金の糸で刺繍をしているのに、彼女たち自身はひどくみすぼらしい格好をしており、汚れたり、つぎはぎだらけの服を身につけている。
よく見てみれば、彼女たちはみな痩せており、また過労で目には生気がない。

そんな乙女たちは、イヴァンの姿を見るとすすり泣きを始めた。

(なんということだ…。
人間を押し込めて強制労働させるとは、許されることではない!)

怒りを堪えつつ、イヴァンは妨害する下男を押しのけて先に進もうとした。

「待ってくださいよ、騎士さま!」下男は言った。
「これ以上進むことは、賢い行動じゃありませんよ。きっと、辱めを受けるでしょう。
早く帰った方が、身のためってものです。」

「いや、これを見逃すわけにはいかない。
私は、この乙女たちを解放しなければならない!」

そういうと、イヴァンは杭で囲い込まれた場所に入りこみ、まずは乙女たちに挨拶をした。

「御婦人方に挨拶申し上げます。
貴女たちがここに閉じ込められているように思えるのですが、これはいったいどういう事ですか?」

「はい、騎士さま。」と、ある乙女が答えた。「ずっと前のことですが、私たちの国の王が、この地に住む2人の悪魔の子と戦って敗れました。
ええ、この『悪魔』というのは単なる誇張ではなく、じっさい彼らは人間の女性と淫魔との間に生まれたのです。
戦い敗れた王は、悪魔の子らが生きている間、毎年30人の乙女をこの国に献上することを条件に解放されたのです。
でも、悪魔の子らが誰かに敗北するようなことがあれば、きっと悪魔の子を打ち破った方が私たちを自由にしてくれるでしょう。
…そんなことは、結局ありえません。私たちは、一生、飢え苦しみながらここで刺繍をし続ける運命なのでしょう。」

「見たところ、君たちはとても痩せている。
労働条件はどうなっているんだ?」

「はい、食事といえば朝と夜にほんの少しばかりのパンが与えられるだけです。着るものに至っては、支給されることはありません。
そこで、私たちは毎日休まず、寝る間も惜しんで働き続けています。
それでも、私たちが受け取る賃金といえば、4ペンス以下。1週間で20スー稼ぐこともできません。
こんな条件で私たちを搾取するのですから、悪魔の子らは大貴族のような財産を作ることができたでしょう。」

――ある意味で、この乙女の台詞は非常に興味深いものだ。
このような強制労働というものを、作者のクレティアン・ド・トロワがゼロから考えたとは思いにくい。
おそらくは、搾取の構造、ワーキングプアというのは、どうやら中世時代、12世紀後半からすでに存在していたのだろう。
いわゆる、工場制手工業というのは15世紀に発達した、と手元にある世界史の教科書にあるけれど、存在自体は12世紀にはあったようだ。
案外、搾取というものは根が深い問題なのかもしれない。

――あと、「ペンス」(ペニーの複数形)とか「スー」というのは貨幣の価値であるが、正確にいくらくらい、というのは訳者には分からない。そもそも、「ペンス」はイギリス通貨だし、「スー」はフランス通過だ。
しかも、これらは10進法を取っているわけでなく、「ペンス」の方を例にすれば、1973年以前は12ペンスで1シリング、240ペンスで1ポンドだった。しかも交換比率が一定でなかったようで、時代によってこれがまた変わる。
とにかく、乙女たちの賃金は生活を維持するのに足らない程度だ、ということが伝わればいい。

「私たちは、悪魔の子らが騎士を殺すのを見る度に、気が狂いそうになります。
貴方も、戦うのはやめておきなさい。敗れれば、たちまちに名誉を失うことになりますから。」

「いや、私は戦う。」とイヴァンは答えた。
「神と精霊が私を守ってくれるはずだ。そして、君たちに笑顔を取り戻す。
だから、しばらく待っていてくれ!」
 

2009/12/21

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