9章 トリストラムとイゾルト(下)〜永遠の別離

 

トリストラムはイゾルトの手をもてあそびながら言った。

「君が年を取って白髪になり、愛の欲望が失われたとき、神が君とともにありますように!」

だが、この言葉はイゾルトを怒らせた。

「なんですって?
そうじゃなくて、神が必要なのは今だわ。
ランスロットならば、たとえ身分の卑しい娼婦に対してだってあなたみたい酷いことは言わないわ。
ランスロットの方があなたよりも遥かに優れているし、礼儀正しいわ。
そんなアーサー王の騎士さまときたら、トリストラムとは比べ物にならないわ!
それなのにあなたときたら、いつも狩をして獣を追いかけてばかり。そうでなければ竪琴を引いたり、槍でだれかを攻撃したりしているわ。
まるであなた自身が野獣のよう。
恋人であるのに、あなたのそばにいられる夢のような時間から引離し、半ば死も同然の薄暗い場所に追いやるなんて。
もはや愛していないですって?
なんて酷いことを言うのかしら!
私の苦境が分からないの? もっと私を喜ばせるようなことを言ってよ。
マークから、そして憎しみ、孤独から私を解き放ってほしいの。
そして、あなたと私はお互いに今の結婚関係から解放さるのよ。
そんなことができたら、甘美なワインのように素晴らしいことだわ。
嘘でもいいの、私は信じたいのだから。
嘘ですら言ってくれないの? 
マークに対しては跪いて厳かに誓ったのに、私には誓いを立ててくれないの?
我らの王は男の中の男―――。あぁ、人々がまだ王を信じていたころ、誓いには力があったわ。
そのときは嘘をつくこともなく、誓いを立てた。そして誓いを通して王は勝利し、王国を作り上げた。
お願いだから誓ってちょうだい。年を取り、白髪になり、欲望は失せて絶望したときになったとしても私を愛すると。」

トリストラムは、不機嫌そうに立ち上がり、また座りこむと言った。
「誓いだって!
おれが誓いを守っていないとしても、君はマークに対する誓いを守っているのかい?
君は嘘と言ったよね?
違う、おれは嘘をついてない、ただ学習しただけだ。
つまりさ、厳しすぎる誓いなんて、有害なだけなんだ。
おれは、騎士としての経験からそれを学んだ。
あまりに厳格な誓いを立てれば、反動で何も誓わなかった時よりも堕落してしまう。
だから、おれはもう誓いなんて立てないんだ。
昔、おれは偉大なるアーサー王に対して誓いを立てた。いや、立てさせられた。
そのときは、――心からアーサー王を尊敬してたさ。
初めてリオネスを出て、異教徒を打ち負かして王国を支配するアーサー王を見たとき、アーサー王は、ただの人間以上の存在だって思ってもいたよ。
そのときのアーサー王の様子ときたら、髪は天から降り注ぐ太陽の光を反射していて、瞳は黒がかった青色。金色のあごひげが光とともに口元を覆っていた。
――そのうえ、アーサー王の出生には不思議な伝説が語られていて。さらにマーリンは驚くべきアーサー王の死についてもおれに語った。
龍をあしらった玉座に腰掛けるアーサー王の姿は、サタンを踏みつける大天使ミカエルのようだったよ。
だから、おれは彼の威厳に驚きながらも誓ったのだ。
でも、結局おれはこのザマさ。――誓いなんてどれほどのものか!
あぁ、所詮は一時の気の迷いにすぎない。
騎士たちはアーサーのために仕え、自分の時を捧げた。
みな、アーサー王は自分よりも優れた主だと信じていて、まるで神のように敬った。
騎士たちはアーサー王を人間以上の存在に持ち上げてしまったから、アーサー王は王になる前よりずっと行動に気を付けなけりゃならないようになった。そうすることで、王国は保たれていたんだ。
だけど、王妃が真っ先に誓いを汚した。
――それから、徐々に騎士道のほころびが明らかにされてきた。
『アーサー王に皆を束縛する権利があるのか?
権利は天から降ってきたのか、それとも海から湧いてきたのか?』
そして、騎士たちは古代の王の血を引き継いだアーサー王に付いていけなくなってきた。
血筋が何だって言うんだ?
血と肉を備えた人間なら、決して守ることのできない誓いによって自分達を束縛する主君なんて信用はできないのさ。
おれの腕――赤い血の流れる腕――は空を掴む。
アーサー王なら、おれを処女のように純粋にできるだろうか?
自由に喋るおれの舌を拘束することができるんだろうか?
おれをなにか1つのモノに縛り付けることができるんだろうか?
それはお笑い事だよ。
おれは俗人にすぎないんだから。
この世を生きるおれたちは天使じゃないし、天使になることだってできはしない。
おれは森に生きる狩人だ。
真っ赤な頭のキツツキの声を聞いて、その鳴きマネをする。
愛しい人、愛することができる間に愛し合おう。
愛以外の何者にも縛られないおれが捧げる愛は、とても大きなものだよ。」

話し終えたトリストラムは、イゾルトの方へ歩み寄った。
「いいわ。あなたに対する愛を拒絶することにするから。
ランスロットはあなたの3倍も礼儀正しいわ。
礼儀正しいと言うことは、他の美点よりも女性に気に入られやすいのよ。
だから、ランスロット卿はほとんど完璧な人間に近いのだわ。
本当に、ランスロットは背は高くて、それにあなたよりも美しいわ。
だから私はあなたへの愛は捨て去って、この最高の騎士の事を愛することにするわ。
『愛する事ができる間だけでも、愛し合おう』ですって?
それがあなたの答えなのかしら?」

このようにイゾルトが社べ手いる間、トリストラムは彼女のために持ち帰った宝石に触れていた。
そして、彼女の温かく、白いリンゴのような喉に指で触れると、こう言った。

「ちょっと怒りを押さえてくれないか?
おれは腹が減っているし、ちょっと機嫌が悪いんだ。
――肉や、ワインが欲しい。
おれは死ぬまで君を愛するし、夢の中だって君を愛しているんだ。」

そうして、2人は仲直りした。
イゾルトは立ちあがるとトリストラムの前に座った。
2人は肉とワインを食べて落ち着くと、心も満たした。
――それから、森で過ごした楽園の日々、鹿、露に塗れるシダや泉、芝生のなどを話題に語り合った。
また、不細工で足萎えのマーク王の事をあざけったりもした。
――それが終わると、トリストラムは竪琴を取って歌い始めた。

「あぁ――、風がイバラをたなびかす!
天の星、星は湖に沈みゆく!
あぁ――、星こそはおれの愛。
遠く離れたり、接近したり。
あぁ、――風は草をたなびかす!
1つは水、もう1つの星は燃え、輝いて流れゆく。
あぁ、――風は水面(みなも)をさざめかす。」

歌い終えると、トリストラムは薄暗い明かりの中、ルビーの首飾りを取りだすと、それを振って見せた。
イゾルトは、
「立派な首飾りね。
アーサー王が新しく見つけ出し、あなたにくださったのね。
この首飾りを身に付けたら、あなたは他の貴族達よりずっと優美に見えることでしょう。」

「いいや、違うんだよ。」
と、トリストラム。
「この赤い果実は、天の国にある魔法のオークの木になったものなんだ。
そして、おれがトーナメントの賞品として勝ち取った。
さぁ、こっちへおいでよ。
おれとの和解の印に、この首飾りとおれの最後の愛を君に捧げよう。」

トリストラムはこう言うと、振り返ってイゾルトの首を眺めた。
それから、イゾルトに首飾りをつけるとこう言った。

「我が王妃よ、とても綺麗だよ!」

トリストラムは、宝石をつけたイゾルトの首元に口付けをしようと体をかがめた。
そうして、首ビルが触れそうになったとき、背後の闇の中から立ち上がった影が、すなわちマーク王がこう叫んだ。

「これが俺のやり方だ!」

さの叫びとともに、マーク王はトリストラムの頭を叩き割った。

2009/10/17

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