解説

== 概要 ==
『The Holy Grail』はテニスンの『国王牧歌』の8番目に収録されている物語です。
なんでも、初期の版には入っておらず、のちのち追加されたお話だとか。
そうは言っても、もともとテニスンが書きたかった話だそうです。
テーマが難解ゆえに、解説というかよもやま話と訳してるときの思いで話になってますが悪しからず。

== 聖杯について ==
聖杯ってのはなにであるか、はっきり言ってよくわかりません。
作中でも、「なぜ聖杯を探すのか?」、「聖杯を手に入れるとどうなるのか?」という点について全く説明がありません。
が、これは本作のみならず、たいていの聖杯伝説に共通しているようです。
キリスト教徒ならばともかく、私達には理解できないものではないのか、ということで私などはすでに理解を諦めていますが…。

とかく、作中では聖杯を見るため、騎士達は旅に出て、のきなみ失敗して帰ってきます。
メインとなるパーシヴァルは触れたもの全てが砂に変わってしまう苦しみ、激しい喉の渇きに耐え、さらには初恋の女性からの求婚を拒んでまで聖杯を探しました。
アンブロシウスも言ってましたが、素直に結婚しておけば良かったのではないかと思えてなりません。

結局、旅の途中で聖杯を見たりすることができたのは、パーシヴァル、ガラハド、ボールス、ランスロットの4人です。

そして、ランスロットは聖杯を見たのにも関わらず、ベールが掛かっていたため聖杯を見たとは言えない。そう言って、この冒険は自分のものではなはい、と報告しました。
それで、アーサー王は『最も優れた者は自分が見た物を信じようとしない』とまとめました。

海の向こうに聖杯を見たパーシヴァルは、出家を望みました。
アーサー王は、『別の者は遥か遠くに聖杯を見たのに、世の不正を正そうとせず出家することしか考えていない』とまとめました。

ガラハドはまぎれもなく聖杯に到達しているのに、なんかワケの判らないことになってしまいました。
アーサー王は『聖杯をしっかりと見ることができた者は、どこかで王になっているとう話だが、ここにあるその者の椅子は空席になってしまっている。』とまとめました。

アーサー王はボールスには評価を下してないようですが、その辺は私の読み落しなのか、意図的なのか…。
で、最後にアーサー王の意見として、
「王という責任のある立場なら、ふらふらと聖杯探しなどファンタジーなことをしていたらいかん。」
これは正論極まりないのですけれど…。解説のしようがないなぁ。
要するに、パーシヴァルの言った通り、
「でも、おいらには言っている意味はよくわかんなかったよ」
が、全てを物語っている気がします。

== 翻訳所のこと ==
この物語では、主人公のパーシヴァルの1人称を「おいら」に、物語の形式がパーシヴァルの回想であることから口語文を意識しました。
ちょっと楽しくはあったけれど、慣れてくるとそんなもんでした。

イメージ的に、パーシヴァルはアニメ版の『神雕侠侶』の主人公・楊過の喋り方を意識しつつ、ガラハドはちょっと近寄りがたく訳してます。

あと、作中ではボールスについて「ボールス卿」としている頻度が比較的高めですが、これは原文がこうなってるからです。
『国王牧歌』で「Bors」という単語は13回登場しますが、うち9回は「Sir Bors」になってます。ランスロットでさえ、「Sir」がつかず呼び捨てが結構多いのに、どういうことやら。途中で気づいて、大幅に「卿」を付けたした記憶があります。
よほど語り手のパーシヴァルがボールスを気に入ってたのか、はてさて韻文の都合上、なんとなく「Sir Bors」になっているのか…。
妙なトコも含めて謎だらけですな。

2009/8/9

top
 

inserted by FC2 system